2011年3月17日木曜日

被災者の意思を推定すれば・・・・・

みなさんこんにちは。

連日連夜、テレビでは地震被害のニュースが流されています。
このマスコミの報道姿勢には一言ありますが、きょうはちょっと違う観点でお話しします。

こうした陰鬱なムードの中、芸能界ではドラマやバラエティの放送が自粛されています。
やっと最近になって放映のニュースがありましたが、それでもAKB48をはじめ
各種のコンサートやイベントが中止あるいは延期されています。

こうしたことは、いったい誰が望んだことなんでしょうか? 

ある人は言います。「こういう非常事態に歌やお笑いやドラマなんかは不謹慎だ」と。
こういう発言をする人は大抵の場合、自分は被災者でもなく具体的な被害を受けていない場合が多いことに気付きます。

阪神大震災当時、避難所にあふれる被災者たちに不足しかつ渇望していたものは
水と食料と情報、そして笑い声だったことを皆さんお忘れのようです。 

実は、くりおねはこのブログ以外にもスポーツに関するブログもやってるんですが、
ここ二三日で一番アクセスの多かった記事はコチラです。

この記事をご覧の読者さんは、おそらく被災された方ではないでしょう。
しかし、この記事は人を和ませ勇気を与え心地よくさせたことは疑いようがありません。
また先ほどの避難所の話に戻りますが、震災後、しばらくして被災者のもとへ落語家のグループが慰問に訪れ、ミニ落語会を催したことがあったんですが、被災者の皆さんは涙を流されて笑い、かなり感謝されました。
人はみな笑いや娯楽を求めています。それはどんな状況、いえこんな困難な状況であればこそだと、くりおねは思います。

法律の解釈論でときどき使われる手法で「当事者の意思の推定」というのがあります。
これは特に遺言の文言の解釈に使われますが、「遺言者がこの状況なら一番何を望んだか」を探ります。
では被災者の方々、また震災で亡くなられた多くの方々の意思はどこにあるのでしょうか?
思うに少なくとも「日本国中が悲しみに明け暮れる」ということではないと考えます。
むしろ「日本が楽しい空気があふれる」ことを望んでいると考えるのは、言いすぎなんでしょうか?

いまマスコミが演出しようとしている、震災の中で起るドラマはあくまでも非日常的なものにすぎません。
多くの方にとって重要なのは、平凡な日常であったはずです。
その平凡な日常を取り戻すためにも、日々の笑いやお楽しみが最重要課題であったはずです。

どっかの野球選手が「いまボールを投げたり、打ったりしてる場合なのか」という疑問を投げかけていると聞きますが、あえて言います、「こういう状況であるからこそ、あなた方はあなた方しかできないことをしてください」と。

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